お経を読むのは回向する人の為🙏

浄土真宗親鸞会のメール内容です。
お経が故人を供養するためではなく、故人を回向する人のための教えです。
以下参考に掲載します。

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【無料】
「お経を読めば供養になる」が
 ナゼ誤解なのか

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こんにちは!
「浄土真宗を日本で一番わかりやすくお伝えする」を
モットーに30年、浄土真宗の講師をしている
中村正(なかむら ただし)です。
大切なご家族を亡くされて、お経を読むようになった
といわれる方は、とても多くいらっしゃいます。

一方で、
「お経を読めばよいとは言われるけれど、
 何の意味があるのか分からない」
という声も、よく耳にいたします。
私は年間200回以上、仏教講座を開いていますが、
参加者から、よくお経について尋ねられます。
そのときに
「お経を読むのは故人の供養のためではない」
とお話しすると、
「え?亡くなった人のためにお経を読むのは、
 仏教の教えじゃないんですか?」
と驚かれます。無理もありません。
葬式や法事では100%、お経が読まれます。
それを「故人のためにあげているのだろう」
と参列された皆さんが思われるので、
仕方がないことかもしれません。
しかし、お経を読むのは故人の供養のため、
というのが誤解
であることは、
次のお釈迦さまのエピソードを知っていただくと
ハッキリ分かられると思います。
…………………………
あるときお釈迦さまに、お弟子が
このようにお尋ねしたことがありました。
「長いお経を読んでもらったら、
 亡くなった人が浮かばれる、
 という人があるのですが、本当でしょうか」
それを聞かれたお釈迦さまは、足元の小石を拾われて、
近くの池に放り込まれました。
沈んでいく石を指さされながら、お釈迦さまは、
「この池の周りを、石よ浮いてこい、
 浮いてこいと唱えながら回ったら、
 石が浮かんでくると思うか」
と尋ねられました。
するとお弟子は、
「お釈迦さま、そんなことはとても考えられません」
と答えると、
「そうであろう。石は、自らの重さで沈んでいったのだ。
 いくら浮かび上がれと言ったところで、
 浮かんでくるものではない。
 人間は、自らの業(ごう=行為)によって、
 死んだ後の結果が決まるのだ」

と仰っています。
…………………………
お経を読むことで亡くなった人の受ける結果が
変わるはずがない
ではないか、
というのがお釈迦さまの教えです。
「お経を読めば故人の供養になる」という誤解は、
お経がどのようなものか
知らされていないところに原因があります。
お経は、お釈迦さまのご説法の記録です。
お釈迦さまは、常に
“生きている人”を相手に教えを説かれました。
ですから、「死者のために説かれた教え」というものは、
仏教にはありません

すると、
「では、葬式や法事で、お経を読むのは何のためですか?」
という疑問が起きてきます。
それは、そこに参列されている皆さんのためです。
もちろん、漢文のままでは
意味がチンプンカンプンですから、
読経の後に説法があるのは、
そこに説かれてある教えをお話しするためです。
葬式や法事は、亡くなられた方を御縁として、
自分の人生を見つめ、「何のための人生か」を知り、
本当の幸せに生かされるためです。
それこそ、故人の最も喜ばれることなのだよ、
と教えられているのが仏教です。

このように仏教について“常識”と思われている中に、
たくさんの誤解があります。
本当の意味が分かれば、自分の気持ちが変わります。
「何のためか分からない」と漠然としていた思いも、
「このためにするのだ」と前向きに変わるに違いありません。
このメールを読んでくださっている皆さまの中で、
「仏教はよく分からない」という思いの方がいらっしゃれば、
10月27日(火)まで受け付けている、
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内容は、これまで特に要望の多かった以下の8項目から、
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